『とらわれている』にとらわれる

コラム

ギャンブルをやめて、いろんなことに気づけるようになってきた。
「とらわれ」という言葉を知った。

「子どもの頃の記憶にとらわれていた」
「過去の失敗にとらわれていた」
「承認欲求にとらわれていた」
「孤独や不安にとらわれていた」って。

気づくことは、すごく大切な一歩。

ギャンブルをやめている日々の中で「とらわれていた自分」に気づいたあと、こんなふうに感じることもないだろうか。

「まだ自分、こんなことにとらわれてる。ダメな自分にイライラする」
「どうでもいいことに、すごい気にしてしまって本当イヤ」
「いつまで同じことを考えてるんだろう」
「こんな自分、情けない」

とらわれていたことに気づいた自分が、今度はその「とらわれ」にとらわれてしまう。
そんな感情が、ギャンブル以上に苦しくなることがある。
まるで堂々巡りのように、ぐるぐる思考が止まらなくなる。
「とらわれ」が新しい「とらわれ」を作り出す。

それに気づいたからといって、すぐに簡単に解決できるものではない。
ずっと抱えてきた思考や感情なんだから、そう簡単に消えてくれないのは当たり前。
ただ、気づけただけでも十分すごい。
ひとつずつ絡まった「糸」をほどくように、ゆっくり丁寧にマイペース。

自分の内側を見ようとすることは大事だけど、見すぎると息が詰まる。
そんなときは外の空気を吸いにいこう。手を動かす。体を動かす。太陽の光を浴びる。人と話す。
何かを「感じる」だけで、思考は少し緩む。

今日も、あなたにとってやさしい時間が流れますように。
考えすぎている自分にも、ちょっとやさしくできますように。

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